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こんな稽古してます。

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ふだんの稽古の一部を撮影しました。
様々な稽古をしていますが、これはフリーダンスと称して、
いつも稽古の最後に、何人かで即興で自由に踊るというものです。
音楽をかけて、いい気持で踊ります。
振付を一切しないにもかかわらず、いつの間にかシンクロが起こったりします。
起こらないでバラバラなこともありますが。
この動画ではシンクロが起こったところを抜粋してみました。
振付で合わせるのとは全く違う「生成」の力があるのですが、
それが動画でもうまく伝わると嬉しいです。
生成が起こった時は、いつ見ても何回見ても、
なんとも言えない驚きをかんじます。
ちょうど動物の動きが、いくら見ても飽きないのに似ています。

ゆっくり動くことが多いのですが、
このようにゆっくり動いている時、
踊り手の内面は実にいろんなことを感じとっています。
静謐・ドラマ・体からあふれる激情・悲しみ その他もろもろです。
あるいはまるで夢遊病者のように茫漠としていることもありますね。

光が・・




稽古のいい写真を掲載。
ボケちゃっているけど、こういうものならボケはいいですね。

西日がさして、まるで宗教画のようで、気に入ってる。
窓からさす光は偶然の産物だけど、偶然も踊りのうちだ。
時間と場所が踊りに力を貸してくれた。
大のオトナが集まって、トルソやぬいぐるみを相手に踊っている。
光がその行為を照らして、行為の本質を浮かびあがらせてくれたと思う。
この光の形がとてもいい。
なにか・・危ういような・・力をかんじる。

映画の撮影などでは、偶然に映り込んだものが力になることはよくあることだけど、
行為が時間のなかで消えていく踊りの場合は、
たとえ奇跡のような瞬間があっても後に残ることはない。
ただ私の身体のなかには、たくさんの奇跡の瞬間が記憶されている。
私がこうしてブログ等で語らなければ、消えていった事柄がたくさんある。

例えば、あの時空が歪んだ瞬間。
私は何よりもそれが好きだ。思い出すだけでぞくぞくする。
CGなどのツールを使わなくても、踊るという行為によって、
そこに生成が起こった時には、ほんとに時空がゆがみ、世界がぐらりと揺れる。

この写真の光もまた。
稽古という行為が光を召喚したのではないしらん。
それくらいのことはおおいにあり得ると思っている。

落葉(らくよう)

いつも稽古している神社で落葉の音をきいていた。
はらはらと落ちる木の葉は、はかない、と感じる。
ところが、踊っている時のように軽い変性意識にはいってみると、
まるで印象が違う。
力強く、怖いほどだ。
海鳴りのような、ごうぅぅぅ という音に聞こえる。
現象としての落葉ではなく、背後の大きな力の働きを感じてぞっとする。
ぞっとするけど満ち足りている。

寄せては返す海の波の動きを見ていて、
それがたまたまの動きであるとか、たいしたもんじゃないとか、思う人はいない。
波の動きは見ればみるほど怖い、圧倒的なものだ。
偶然の動きではなく「必然」が支配していると感じる。
そこにあるのは宇宙原理のような地球の呼吸のような、
美しくも恐ろしい韻律だ。

それと同じように落葉にも必然という支配を感じる。
「空の鳥1羽、地に落ちるのにも神の摂理がある」というシェイクスピアの言葉を思い出す。
(正確な文言は忘れたが)
落葉は正確に寸分の狂いもなく、ある原理に従って、唸りをあげて一斉に落ちていった。
ざあああああ ごおおおお という海鳴りのように。

その必然の網の目に自分がいると思った。
そのように踊りたいと思った。

源氏物語で、風の中の葉擦れの音をきいては涙するような貴族が出て来るけど、
違和感あるなぁ
なんか弱々しい。涙するとかそういう問題かと思う。
先のシェイクスピアの言葉に較べると深みがないと感じてしまう。
「リア王」がきいた嵐の音はどんなだったのかと思う。
彼は宇宙の生成の恐怖に踊らされたのではないかと。




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Author: 最上 和子
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