小さく動く

昨日の稽古では初めて「小さな動きの中の天国」というのをやった。この命名は知人の舞踏家によるもの。動きを小さくするほど動きをゆっくりするほど動きを静かにするほど、身体の内部は充満するというもの。この稽古をしているうちに、みるみるうちに身体の内部が充満し、それにつれてあたりに静寂が立ちこめた。こんなに成果があるとは思わなかった。これは東洋あるいは日本の身体技法の叡智だ。身体の内と外は逆説の関係にある。動きを小さくするとエネルギーが身体内部に逆流し、密度が濃くなり、身体のエロスが高まる。この身体内部の充実を体験したら、自分の外側に娯楽を追う必要がなくなる、と私は思ったのだよ。自分の身体だけでじゅうぶん楽しめるしエロいからね。で、これをウミオミスティカ身体文化研究所の定番稽古のひとつとします( ・´ー・`)どや

空気 ?


他愛もない話です。

とつぜん気がついたことがあります。
この空気ははるか古代からずっと続いている、ということ。
成分は微妙に入れ替わってはいるだろうけど。
足の下の大地も、地球ができた時から、続いている。

そんなこと当たり前、と人は言うのかな ?
当たり前じゃないだろう。ふつうは気がつかない。

人間が土地の上に作ってきたもの、文化文明、は姿を変え、
滅びたり作られたりを繰り返してきたけど、土地と空気は途絶えたことがないのだ。

土地に関しては、地質学とか考古学みたいな探求方法が存在している。
でも空気に関しては、探求のガクモンはないよね。
空気は「感じる」しかないものなのだろう。

これってすごくないか ?
空気の中には古い昔からの情報が詰まっている。
霊だって魑魅魍魎だって棲んでいるわけだ。
空気は記憶そのものだ、と感じる。
生活に追われてふだんは気がつかないけど、何かの加減でふと息をつくと、
正体のわからないものが、見えたり聞こえたり感じられたりする。
日常感覚とか社会性とか自我意識とか、そういうものがゆるむと、
普段は気がつかないものが、あちら側の次元から顔を出すわけだよね。
それは世界の可能性を広げてくれるような気がする。
ほっとするのだ。

最近私は、とにかく空気が気になる。
いつも空気を感じて生息している。
それが心地よいのだ。
そう・・・ これもアニミズムなのだね、きっと。
空気の中にあるものが面白くて、それを感じていることが、
私の生を支えてくれている。
現代社会の無機質な味気ない空気の中にも、いきいきとした空気の痕跡を感じる。
濃密で、まるで呼吸しているかのような。

このところ、稽古を中心として、
空気の中に棲むものが出現する機会が多いんだよね。
たいていは光の出現なんだけど、これ、かなり面白い。
他界からの訪問者だろうか ?
(具体的なことは書かないでおく)
安易なスピ系にならないよう気をつけながら、そういうものを感じていたい。

稽古というのは、人間の内的価値・霊性・宇宙性を、
身体を通して探求する場所なので、
この世ならぬものが出現しやすいのだろう。
稽古しているときの「場の空気」が、たまらなく好きだ。
稽古をつづけていると、見えないものを段々と見るようになるものだ。
それが楽しくて、私は踊りを続けられた。
身体が あちら側とこちら側を 行ったり来たりする のが面白くてならない。

稽古場という空間

既にあきらめてしまっているのだけど、
私は《稽古場が猛烈に欲しかった》
仲代達矢さんの無名塾みたいに贅沢でなくてもいいけど、
大野一雄さんの稽古場みたいなものが欲しかった。

舞踏家やダンサーで稽古場をもっている人はほとんどいなくて、
たいていはダンススタジオや公共施設を借りて稽古している。
私の場合は自宅の居間と、近所の公園が稽古場になっている。
以前は公共の施設を借りていた。
隣の部屋で楽器の演奏の練習などしていると稽古にならなかったっけ。
なにしろ私の稽古は静寂が基本なので。

公共の施設というのは稽古場として最悪だ。
次から次へといろんな団体が借りて、機能一点張りなので、
そこに愛がなく責任がなく、何も実っていなくて無味乾燥。

自分の稽古場が欲しいというと、「ぜいたくだ」と非難めいたことを言う人がいるけど、
どうしてそれがぜいたくなんだろう ?
欲しい、と言うだけで贅沢なのか ?
欲望することじたいまでをも否定するのか ?
画家が自分のアトリエが欲しい、と思うことはぜいたくなのか ?
舞踏家だって自分の稽古場が欲しいのさ。
ただ、アトリエよりも大きい場所が必要なのが問題だよね。
アトリエはそれ自体がアートだ、というけれど、
舞踏の稽古場も、それ自体が舞踏の一部なのだ。

そこで複数の人間が稽古を続ければ、強力な磁場ができる。
たった一回の稽古でも複数の人間がいれば磁場が形成される。
継続的に一定の場所で稽古することで、
生き物のように《場》が育っていく。
そこに時間の痕跡がつくられていく。
その空間は特殊なものであって、それじたいがひとつの作品なのだ。
その場所にはいれば心身が変わる、そういう場所になる。
ちょうど寺院や神社に足を踏み入れた時のように。
そして寺院や神社よりもいきいきとした躍動的な「発生の場所」にしたかった。

そういう稽古場を育ててみたかった。
心の内なる聖なる空間のような場所を。
身体という文化を育て、情報を世界に向けて発信する拠点としての稽古場。
この世ならぬ美しいものが実現されている場所。
マレビトの足音が通過していくところ。
それを夢見た。



・・・力不足でまったく不可能なんですけどね。
最近、勅使河原三郎さんが自分の活動の拠点のようなスタジオをつくったそうです。
彼もまた、そういう場所がどうしても必要と感じたらしい。
何階建てかの一戸建てらしい。
あ〜あ〜あ〜 羨ましい限り。
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Author: 最上 和子
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