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私の周囲で絶賛の嵐だったので、見に行った。
あまりの評判の良さに、映画ファンでもなく日頃感動の少ない私でも、
うちのめされるのでは、という期待があった。

結論を言うと、全く面白くなかった。この感じは「アバター」見た時に似ている。
あまりの評判に、つい映画館に足を運んで、ただ退屈して帰ってきたあの記憶よ。

つまらなかったのなら感想など書かなければいいんだけど。
でも書く気になったのは、
このような大盛り上がりの、老いも若きも大絶賛♪の映画に、
なんの感動もない者がいる、と言ってみるのは意味があると思ったのだ。
そこには作品というもの対する、とんでもない誤解があると私には思われるから。

ここに書く感想は多分、身体に取り組んでいる者特有の偏りがあることと思う。
だからこそ書いてみる気になった。
身体をやっている者にとって、よく出来たエンタメって、こういうふうに映るんだと。
別にケチつけたいわけでもなく、自慢したいわけでもない。
少数派にも発言させてね、と言うにすぎない。

この手の映画を私は、
ジェットコースター映画、ディズニーランド映画、と呼んでいる。
早いテンポで突っ走るから気持がいい。カタルシスがある。
これでもかと楽しませてくれる。余白がまったくない。120%与えられている。
このように楽しんで下さいと言われ、そのように楽しむ。
最初から答えが決まっている。
それ自体は悪くない。
でもそこにいろんな意味付けをするのであれば、バカバカしいと思う。
ここにはなんの意味もありはしない。ただその2時間が気持いいだけ。
中毒症状みたいなものに思える。
もっとも私はちっとも気持いくなかったけど。
空疎だなと思っただけ。
ただつくるためにつくられたテンポ。疾走感もない。
テンポは速いが、時間はだらだらと締まりがない。

まず導入のはじめ1分くらいで、
「あー、これは私にはダメだわ」と思った。
のっけから「呼吸」がなかったからだ。
映画に限らず、生命体であれ作品であれ、生あるものには、
そこに呼吸が存在するものだと私は思う。
自然物であれ、人のつくった構造物であれ。
シンゴジラには最初から終わりまで、ただ乱れた、デタラメのテンポがあるのみ。
畳み掛けるような速いテンポだから悪いとか、
最上は老人だからテンポについていけないのだろうとか、
そういう問題ではない。
呼吸もリズムもないテンポ(?)は、受け取る側の生命エネルギーを奪う。
いや私は元気出たよ、という人が大半であることはわかる。
だとしたら、たぶん人は、生のエネルギーがどんなものであるのかが、わからなくなっているのだろう。
あるのは刺激に対する反応だけ。
つまり身体知が作動していない。
とまあ、これは独断ですか。言いすぎか。
あくまでも身体の立場です。
この監督は生にたいする感受性を失っている、と私は単純に思いました。

この作品は3・11以降が描けているとか、
現代の日本人の総決算だとか、
政治的にどうとか、
そういうことをこの作品に関して言うのはどうかと思う。
ここには何もない。
思想とまでは言わないにしても、
作品をつくるという行為への、もっとも根源的なモチベーションが全くない。
エンタメだからなくてもいいのだと言うなら、
3・11がどうとか、最初から言わなきゃいい。
ただのアトラクションだと思えば済む。
監督自身がどう思っているのかわからないけど、
評論家諸氏の意味ありげな発言はどうかと思う。
あなたにとって3・11とはこんなことでしかないのですか、と言いたくなる。

ゴジラの第一作を受け継いでいるという発言もあったけど、
第一作には、ある厳粛さがあったように思う。
それはあの頃の日本人の生きる姿勢の反映であったのだろうか。
シンゴジラには厳粛さなんてありはしないし、
そこにあるのは、生命感覚を失った人間たちの浮かれ調子があるだけ。
わざと記号化したキャラクターなら、それなりの別種のリアリティが必要でしょう。
漫画になっていたって構わない。テンポがはやくても構わない。
しかし、そこには「生」がなくてはおかしいでしょう。
ゴジラとは生そのものだと思うよ私は。人間はもちろんのこと。 ここには、
自分が息をしていることすらわからなくなっている、生命体の衰えがあるばかり。

もしかすると、もうゴジラは日本に存在できないのかもしれないな、とさえ思った。
ゴジラの存在を抱えるだけのメンタリティが、もう日本人にないのかもしれない。
そのような想像力も真摯さも。野生も。
ゴジラという虚構の生命体を愛する力がないのかも。

これだけ評判がいいと、私のような発言はチリアクタのようなもので、
ただひねくれていると思われるかもしれない。
否それ以前に私など社会的に存在していないのだし。
だけど声なき声もあるんだぞ、と言ってみたかった。

ゴジラの動きは野村萬斎さんのものだそうで、それは目の付け所が良かったと思う。
でも舞踏家ならもっと良かったでしょうね。
不気味さ、割り切れなさが出たと思います。
ただし、舞踏の動きが、モーションキャプチャーで写し取れるかどうかは不明です。
あと幼ゴジラの造形は好きだった。動きも猫のようで楽しかったです。

もう一つ。虚構とは何かということ。
虚構とは「ただのつくりもの」である場合と、
「真のリアルの創出」である場合がある。
表面上はおなじ架空の話であっても、その虚構性は全く別のものだ。
人はなぜ虚構を必要とするか。それは後者の場合のためです。
人は日常以上の物語を生きるものだからです。
そこには堂々たる、そしてこれ以上はない繊細で美しい生命が
存在していなくてはなりません。
シンゴジラには虚構の力がないので、その主張、内容にもなんの意味もありません。
物量と技術だけがあって強度がありません。
虚構の強度がなければ人間の記憶にもなり得ません。

この映画が社会的に勝利しているからこそ悪態をつきました。はい。
私には特撮の技術面の知識がまるでないので、
技術面のウンチクは映画の楽しみでもあるのだから、いいと思います。
美術面では、幼ゴジラのデザイン以外には何も感じませんでした。
セリフは生きたものがありませんでした。

結局のところ私は超少数派だよね。
身体の立場から映画を見るって、そういう立場なんて存在していないからですよ。
身体をやると、世間一般の楽しみの大半を失うものだなと再認識しました。
別にさみしくないです。
楽しみなんて他にいくらでもある。
ただの刺激ならなくてもいい。

いわゆる評論家風の人たちのシンゴジラ評には空疎さしか感じません。
口の達者な器用な人たちですよ、ほんと。
この作品が押井作品に似ているのは上っ面だけです。