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呪われたもの

舞踏の公演には演出家がいないのがふつうだ。
踊り手である舞踏家がそのまま演出を兼ねる。
これは舞踏の世界では当たり前になっているけど、
作品をつくるという行為においては例外的で、不可能に近いことをしている。
だから相当の名のある舞踏家の公演でも、演出じたいは拙い。
ふつうの舞台表現の演出と同等に並べて見られるのは、正直ツライ。
舞踏は特殊な成り立ちをしている表現ジャンルだ。

このことが、いざ公演をするとなると大変な障壁になる。
この苦しさは言葉に出来ない。観客は、
ただふつうにダンスの舞台を見るつもりで観ると、なにがなんだかわからない。
だから舞踏の公演というのは身内でしか成り立たない。
うんと有名になってブランド化しないと、お客さんが来ないのは当たり前。
山海塾は演出がすぐれているけど、そのかわり身体性はほとんどない。

どう考えても舞踏は特殊すぎるし、表現ジャンルには成り得ないと思える。
踊り手が同時に演出家であることは不可能だ。
そのことに無自覚な人もいるけど。

作品ということでなく「身体にはこういう面もありますよ」という見せ方なら成り立つ。
実際にそういうものも多い。
床にころがってみたり、体をねじれて見せたり。
その場合、舞踏に対する最低限の前提を観客が知っている必要がある。
それはそれでひとつのあり方だとは思うけど、私は作品が見たいと思ってしまう。
作品というものが持つ、宇宙的な蕩尽の性格、色彩、色香、世界観的強度、
そういう曰く言いがたいひとつの存在様態がほしいと思う。

私はやはり不可能を夢見ているのだろう。
踊り手が演出家であることの困難は、やってみなければわからない。
ただ踊っているだけでは見えてこない、本質的な問題がある。
ここに身体の本質がある。
身体は自分自身であるというのは、本質的すぎてなんの意味もなくなってしまう。
そのようなものだ。
なんとなれば、世界の本質は語りえぬものであり、
解決のできない、答えのないものだからだ。
まともにやったら気がへんになる。自分が壊れる。
本番当日まで演出に精を出したら、もうその人は踊り手として成立しない。
自分自身に集中できなくなるからだ。

だから私は舞踏にとって作品とは、いくつも出来ないと思っている。
一生にひとつかもしれない。
それは私の生の中で繰り返し吟味され、丹念にすり潰され、
もはやこれ以上は省略も付け足しも出来ないギリギリの形に、
到達したものであって、
だから演出そのものは後方に退いてしまっているような、なにものかだ。
その形が、その踊り手にとって、永遠に生成し続けるような、
そういう容れ物になっていなければ。

純粋に舞そのものとしての成立の仕方もある。
わかりやすく言えば、
バレエにおける「瀕死の白鳥」とか、
日舞における「雪」だったか、タイトルは忘れたが、
韓国舞踊におけるサルプリのようなもの。
純粋な舞それ自体は短い時間で、5分とか、せいぜい15分程度の、
ソロ舞踊の精髄のようなもの。
たとえ5分でも、その踊りに神が宿っていれば、
何万もするチケット代も、ほんとは高くないのだ。
絵画一枚に億もの値段がつくことを思えば。

私は世界観のある作品世界と、純粋な舞とをわけて考えている。
作品となれば、演劇的要素が必要と思ってる。
その場合の演劇とは原=演劇であり、ストーリーのことではない。
それは人間のドラマと神的なものとの融合のような意味合いのことである。
ある決定的なシチュエーションのようなもの。

私は世界観のある作品をひとつ作り、
あとは純粋な舞をつくりたいと思っている。
純粋な舞とは、例えば「剣の舞」とか「死者を悼む舞」のようなものだ。

とにかくとんでもない困難に取り組もうとしている。
それがいかに困難かは、ごく一部の人にしかわからないだろう。
内的で霊的な創作舞踊を創出することがいかに困難か。
しかも、どう頑張っても小さな世界でしかなく、観客は永遠に極少だ。
絶望的に孤独だ。
もしかしたら私はハゲてしまうかも(笑)

小さな世界であるというのは実は大切なことだ。
それは精密で限りなく小さなレンズのようなものであり、
小さければ小さいほど、そこに映る世界は大きく無限大にちかづく。
これはマテリアルの精髄だ。
だがそれがわかる人は少ない。
報われなくても情熱を燃やし続けるほど、私は聖人かい。
と言いたくなる。
人は絶対に報われたいものだ。

・・・ とここまで書いてヘトヘトになったので止める。

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Author: 最上 和子
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