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公演したい

最近、あれほど興味のなかった公演活動を、又したくなって来ている。
どうしてなのかよくわからない。

社会性への未練が断ち切れない、というのもあるだろう。
思う存分踊っていないということへの不満もあるだろう。
公演するという行為に対する評価が、自分の中でそれほど上がったわけではない。
集客も出来なくて結局は自己満足に終わるんだろうな、という気持は相変わらずある。
それでもやりたいと思うのは表現者の単純な欲望なのか。

足の下に地面がないという虚しさから、公演に興味をなくし、
巡礼活動したり、稽古の方法を試行錯誤したりして、
それほど成果が出たわけでもないけど、
それなりに自分の中で、何かが納得できたのかも知れない。
自分のなかに力強いものを、最近感じる。
きっと何かを掴んだんだろうな。
頭ではよくわかっていないけど、身体はきっとわかっている。
だから身体が動きだしたんだ。

前からやりたいと思っていた、ギリシャ悲劇のコロス的なものをやりたいとか、
(誤解されやすい言葉だが) ある種の神聖舞踏、をどうしてもやりたいとか、
いろんなことを思う。
まあ単なるうぬぼれと思ってもらって構わないのだけど、
現在舞台などで行われている舞踊表現とか、伝統芸能とか、私には面白くないので、
あの程度のものがいいとされていることが歯がゆい。
私のほうがいいよ、と思っている。
口惜しいのだ。
この私が社会から埋もれていることが。
もしかすると私は、完全に社会性を失った、ひきこもりの人間が、ほんとは何もできないのに、自分を一角の人物であると錯覚するように、
自惚れを養っているに過ぎないのかもしれない。
だとしたら、それを思い知った方がいい。

要するに、長いあいだのひきこもり状態に嫌気がさしたのだろう。
オモテに出たくなったのだろう。外気を吸いたいのだ。

でも引きこもっていた事自体は後悔していない。
私にはただの舞踊ではない「身体」がどうしても必要だった。
舞台人になっていたら身体を探求することは出来なかったろう。
とうてい両立なんて出来るものではない。

表現以前の「身体」をちゃんと押さえた舞踊を全面展開してみたい。
いざするとなると問題は山積だ。
お金の問題。集客の問題。
またしても雑用で消耗して、踊りに集中できないとか。
同じ失敗を繰り返してしまうかもしれない。
だって具体的問題は何一つとして解決していないのだから。

ただ、以前公演活動していた時とはあきらかに何かが違う。
自分の中で何かが変化している。
だからやってみようと思っている。
失敗したらその時にまた考えよう。

具体的には公演(というより試演会)を来年にやることにした。
来年の夏にアイスランドで公演をすることになっているので、その前哨戦だ。
国内で本格的公演する力が私にはないので、前哨戦として。
アイスランド公演の声掛けをしてもらったことが、具体的なきっかけになった。
私はほんとは作品を作りたかったのだと、気がついた。
それ以来、身体のなかで燃えるものがある。
やりたい、踊りたい、作品をつくりたい、という声がある。
私はやりたいのだ。力のある身体表現を。

社会の壁にぶつかってだからよく落ち込む。
私はもう老人なのにゼロから再出発しなくてはならないと落ち込む。
それでもやりたいし、私はやるのだろう。
何か・・すごく気分がいいのだ。
個人的な欲というより、やるべくしてやるという感じがしているのだ。

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Author: 最上 和子
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