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近況 つれづれに・・

ブログをしばらく書いていない。
帯状疱疹にかかって、痛いのと集中力がないのとで。
だいぶん良くなったので、ちょっと思いつきを。
(まだクスリを飲まないと痛いです)

私は稽古場をやっているけど、そのあり方にいつも悩んでいる。
たいていの稽古場は公演活動を前提にしているので、参加者を確保できていると思う。
稽古に出ていれば自分もいつかは舞台に立てる、という利害が絡んでいるからだ。
(舞台に立てない場合でも、主宰者が有名人なら成り立つ)
人間は利害でしか動かないものなので、それは当然のことだ。
利害が介在していない集団は力が弱い。
私の活動はひとりでは出来ない。
小説を書くのとは違って、ほんらい、集団作業なのだ。
その集団に例えば公演をするというような、
具体的な目標がない時、その維持は不可能にちかい。
それをムリしてやってきたので、何かにつけ暗礁に乗り上げる。
また仕事をすればギャラが出る、というような契約行為もないので、
常に人の善意にすがってタダで働いてもらう、という、
出来るはずもないことをしている。
上手く行っている時はいいのだけど、そういう時は少ない。
自分の利益にならないことを、優先順位の上位に置く者はいないのは当然だ。

ずっとずっとムリしてやってきたので、疲労が蓄積している。
外から見れば、それほど困難なことをしているようには見えないだろうけど、
こんなことを自分でやってみれば、たいていの場合すぐに挫折する。
私も何回も挫折した。これからもするだろう。

今や老人の領域に突入した私は、もうこれ以上は出来ないと感じている。
そしていつか自分の周りには何もなくなるだろう。
それを覚悟しながら活動している。
最後に、公園や神社でひとりで稽古している自分の姿が浮かぶ。
私はそうして永劫という領域にみずからを解体していくのだろう。

別に踊りとか表現をしていなくても、
老いと死は、誰にとっても難題なのだから、
「なにもない」状況も致し方ないと思っている。
それは万人に共通だ。

ここで突然話は飛ぶ。

人間は自分の存在の岸辺を、つねに拡大して来たように思う。
宇宙論なんてその最たるものだ。
人間がなにごとかを認識すると、そのぶん宇宙や存在は、
拡大したり深くなったり緻密になったりする。
私のしている身体の行為もそういうところがある。
何回も書いて来たけど、
人間の動きの微小さの中に生成が起こる。
それはこの現実世界の裏側にはいるということだ。
裏側は無限の領域だ。
この行為はやってみなければ生成のダイレクトな体験は出来ない。
そしてこの行為によって生成を体験することは、
日常の普通の行為とともにあって、
なにも大げさに瞑想修行したり、山奥にこもったり、
ドラッグをやったり、その他をしなくていい。
当たり前に市民として生きる行為の中で生成と奇跡と宇宙創生を、
体験し、
そのことによってニヒリズムを解体し、
太陽の力をみずからのものにすることが出来る。

確かに私の考えていることは妄想みたいなものだ。
長い間孤独に耐え、なにもかもいやになったので、
こうして妄想を誰に遠慮することなく書いている。

この文章は下書きもしないで、するすると書いた。
では又。

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Author: 最上 和子
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