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日々雑感

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このところブログが滞りがち。
twitterを始めたせいかもしれない。
ブログの読者は顔が見えないので、
「一体これ読んでる人いるの?」という気持がどこかにあるのに比して、
twitterでは直接顔をあわせなくても知り合い感を持ちやすい。
実際ステキな知り合いも少数だけど出来たし。
でもブログを通じてしか知り合えない人もいる。
だからもっとブログを書こう。
書くことは山ほどあるのよね。

先日、例によって神社での早朝稽古をした。
霊気の薄いさびれた神社だけど、公園より稽古しやすい。
私は神社は好きだけど、由緒とか縁起とか、聞いてもすぐに忘れる。
ただ空間さえあればいいみたいな感じで関わっている。

参拝してから稽古に入る。
「稽古いたします。どうぞよろしく。そしてありがとうございます」という気持。
これがなかなかいい。
稽古の導入としてとても気分がいい。
正式な参拝の型もろくに知らないので、
舞踏の稽古もかねて、丁寧にお辞儀するだけなんだけど、
最近ではお辞儀すると途端に意識が飛ぶ。
気持がよくて頭がぼうっとしてうっとりして身動き出来なくなったりする。
以前はそういうことはなかった。

武術の本で、
「お辞儀には身体技法が詰まっている。お辞儀をすると体が自動的に浮身になる」
と読んだことがあり、それはこういうことなのかと思った。
丁寧にお辞儀すると、体の中の動きがよくわかるんだよねー
軸が整い、背骨や腰の内部が精妙に動く。
そして動きのある時点で体がピタッと止まる。うっとりする。
これが素晴らしい。
これが稽古の導入になり、息が整う。

最近は古武術系の人と知り合いになる機会が多く、日本武術の人って独特の清潔感がある。
私には西洋型ダンサーの知り合いがいない。
なんだか肌が合わないらしい。
日本武術のひとって清潔でありながら、一流の人ほど怖さがある。血が濃い。
その血の濃さは身体と結びついている。
これが西洋人だと、同じように濃くてもどこか観念的で身体性が薄く、
理屈で体ができているような感じで、それもまた面白い。

というわけで近所にさびれた神社があって良かったな、という話。



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Author: 最上 和子
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