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桜の木の下で舞う

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毎年、桜の花の散る頃、桜の木のある近所の公園でひとりで踊ってます。
公園に先客がいる時は近所のさびれた神社で。
踊りをやっている者の特権といいますか・・ ただ桜を眺めて感動するより、
ずっと濃い、贅沢な時間なんですよねぇ なにしろ踊っちゃうんですから。
人の目も気にしないで。
どんな娯楽にも勝る時間です。
ふだん苦労しているぶん、神様がこんな贅沢な時間をくれるのだと思ったりしてます。

例年はただうっとりと、桜吹雪の中、桜の花の匂いに包まれて、
天女にでもなったつもりで踊ってました。
今年は別のことが起こりました。

・・ 次元が深くなった。
桜の木の下に立ったとたんに意識が飛んだ。
それからは自分と外界の境界が消えて、
あちら側の世界とこちら側の世界のあいだにたゆたっていたらしい。
あとで考えると、桜の木のエッセンスというか、精霊とまぐわっていたような気がする。
ロマンな言い方ですけど。
そういう経験って、経験している最中は何がなんだか分からない。
後になって、あれはよく哲学で言う「想起」ってものなのかと思った。
身体のなかにあるいにしえの記憶、
原初の渦、
かたちのない元素の素材、
そういうものが現れて、自分はその渦のなかを旅していた気がする。
竜宮城に行った人間が、後になって、
「あれは竜宮城だったんだな」と気がつくみたいに。

その想起とは「時間の流れ」を遡るというような線的なものでなく、
身体に棲む「垂直的」な記憶。
身体ある限り失われることはないのかもしれないと思った。

その体験はとても強くて、いつまでも体に残る。
思い出しては「あれはなんだったのか?」と。反芻しつづける。
リアルって強度のことなのかもしれない。
人間は強度の体験の積み重ねで自分自身になる。
強度とは内的なもので、外側の「すごい体験」ではない。
人間は戦争体験ですら忘れられる。
だけど内的体験は身体から消えることはない。

そんなわけで今年は不思議世界で踊ってまいったのです。
あなたもぜひ、桜を眺めるだけでなく、桜の精と踊ってみてくださいませ〜
お金のかからない桃源郷でございますよ。


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素敵ですね。
舞い散る桜とともに踊る先生が見てみたい。

ありがとう

mizokawaさま

ステキと想像してもらえて嬉しいな。自撮りできないので実際はどう見えるのかわからないけど。いつか一緒に桜の木の下で踊りましょう。
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Author: 最上 和子
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