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光が・・




稽古のいい写真を掲載。
ボケちゃっているけど、こういうものならボケはいいですね。

西日がさして、まるで宗教画のようで、気に入ってる。
窓からさす光は偶然の産物だけど、偶然も踊りのうちだ。
時間と場所が踊りに力を貸してくれた。
大のオトナが集まって、トルソやぬいぐるみを相手に踊っている。
光がその行為を照らして、行為の本質を浮かびあがらせてくれたと思う。
この光の形がとてもいい。
なにか・・危ういような・・力をかんじる。

映画の撮影などでは、偶然に映り込んだものが力になることはよくあることだけど、
行為が時間のなかで消えていく踊りの場合は、
たとえ奇跡のような瞬間があっても後に残ることはない。
ただ私の身体のなかには、たくさんの奇跡の瞬間が記憶されている。
私がこうしてブログ等で語らなければ、消えていった事柄がたくさんある。

例えば、あの時空が歪んだ瞬間。
私は何よりもそれが好きだ。思い出すだけでぞくぞくする。
CGなどのツールを使わなくても、踊るという行為によって、
そこに生成が起こった時には、ほんとに時空がゆがみ、世界がぐらりと揺れる。

この写真の光もまた。
稽古という行為が光を召喚したのではないしらん。
それくらいのことはおおいにあり得ると思っている。
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若い人

舞踏は西洋ダンスと較べると「老い」の舞踊、というところがある。
それは東洋の伝統的な価値観でもある。
日本では舞の究極は「翁」の姿に集約される、という世界観がある。
現代では身体表現というと、どうしても西洋の舞台表現の文脈の力が圧倒的なので、
若さが主体であり、そのことに対置するので、ますます老いの舞踊、を強調せざるを得なくなる。
正確に言うと、たぶん、「老い」の舞踊というよりは「成熟」ということなのだろうけど。

私の稽古場も中年の人が多い。
若い人と中高年とが並んで踊ると、違いは歴然で、
中高年は身体のなかに人生の蓄積があり、たくさんのニュアンスを持っている。
体は歳をとればとるほど面白くなるのは確かなようだ。
若い人の体は、どんなに頭がよかろうと才能があろうと、中身はない。
まるで中空の青竹のようだ。

でも最近は若い人も稽古に来るので、私も考えが変わってきた。
若い人は中身はないけど、時代を敏感に感じとっていて危機意識が強い。
水を求める、喉が渇いた野生動物のように、まっすぐでキラキラギラギラしている。
若い人は、もちろん人によるのだけど、少なくとも舞踏の稽古に来るような人は、
生きるのがつらくてたまらない人ばかりだ。
だからなのか、その身体は、時代を映す澄み切った水面か鏡のようだ。
それは単なる筋肉や皮膚の若さではない。
見ていて胸に迫る張りつめた美しさがある。
それは中高年にはないものだ。

どちらがいいとかそういうことでなく。
私の考えている舞踏は、多分に神秘主義的傾向があるので、
老いも若きも共に身体に向き合えるのかもしれない。
そこには普通で言う「人生」以上のものがあるから。
広範な年齢層の人がいる場所って、豊かでいいなと思う。
もっと若い人も来て欲しいし、70代80代の人も来て欲しい、なんて思う。
お互いに自分にないものを発見して、
身体というひとつのレンズを共有して、せせこましい世代対立を吹き飛ばしたいものだ。

おそらくは舞の究極とは、
年齢も性別も社会的役割も越えていくものだろう。
それは透明な存在であり、生成のダイナミズムであり、宇宙的職人芸であり、
身体ほんらいの豊穣な祝祭であるのだろう。

稽古場の床に汗ジミが(笑)

いつも定例の稽古は私の家でしている。
立派な稽古場ではなく、ふつうの住宅の一室でささやかな場所だけど。
(ちゃんとした稽古場が欲しいけど、高望みしてもしかたない)
稽古できる空間があるだけ幸せ。

先日、その稽古場の床にシミがたくさんあることに気がついた。
化粧合板のフローリングではなく、無垢材なのでシミが出来やすいのだ。
何か食べ物をこぼしたのかとも思ったけど、どうも違う。
あれっ、これは稽古のときに生徒さんが流した汗ジミだ !
床稽古のとき、顔が床にべったりくっついたりするし、
それ以外にも汗をかいたりするので、それが床に染み込んだのだ。
なんだか笑ってしまった。
ほほえましいと言うか、少し嬉しい気持。

このシミは、同じ汗でもかなり油っぽいものだな。
男の人の脂汗か、女性のファンデーション系のものだろう。
このささやかな稽古場にも、稽古を重ねていくうちに、こうして痕跡ができていく。

私は稽古場という「場」を育てるのが夢だった。
ただ体を動かして、体をうまく使えるようになるだけが稽古じゃない。
場所自体が育つのだ。
汗も染み込むし、ひとりひとりの思いが、床や壁に染み込み、空間が育つ。
部屋の隅々まで思いや「気」が浸透していく。
稽古を通して、人から大切なものが生起しつづけ、
やがては場所が育って、その場所が人に力を与えてくれるようになる。
踊りをする者にとって、稽古場はとくべつな場所、聖なる領域だ。

伝統系の人たちには、そういう場所が最初から与えられていることが多いが、
私たちは自分でゼロから育てなくてはならない。
場所がほしい場所が欲しいと思い続けてきた。
身体と踊りは場所と一体だからだ。
人間が力技で、ゼロからすべてを立ち上げる、
それは想像を絶する困難な行為なのだ。もう私は疲れたんだ。

 ・・・ でもこの汗ジミを見て、少し元気が出たのさ。
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Author: 最上 和子
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