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「私の身体史」の反響は

「私の身体史」を電子出版してから2か月がたった。
出版した当初は50部くらいは売れるかな、と思っていたところを、
100部は越えたので、まぁ良かったなと思う。
メジャーの書籍出版に較べたら微々たるものだけど、
少なくとも100人以上の人が読んだのだから嬉しい。
出版しなければゼロだ。

本というひとつのまとまった形あるものを世に出す
(と言うとおおげさだけど)ことは意味があるなと実感している。
もともとリアルにつき合いのある人や、ネット上だけのつき合いの人などから、
ずいぶん感想を聞かせてもらった。
本人に向かって悪口を言う人はいないとは言え、とても評判がいい。
こんな人生があるのか、という驚きを口にする人が多い。
ふだんつき合っていても、人間の中身というのは見えないものだから。
なかには、もっと具体的に細部まで書き込んで膨らませれば、
ベストセラーになると思う、と言う人もいた(笑)
20代の若い人から年配の人まで、ほとんどの人が読んだ興奮を口にしていた。
多くの若い人にぜひ読ませてあげたいと言う人もいた。
自分の体験に普遍性があることを知って、おおいに自信になった。

ひとつとてもいい内容のレビューをここで紹介したい。
書いてくれた人とは面識はなく、ネット上での付き合いだけ。
難病をかかえていて身体にはとても敏感であり、
読書家で言語世界にも精通しているので、驚くほど的確な内容だ。
私の体験の本質とみごとに呼応している。

  → 私の身体を語るということ/私の苦痛を語るということ/私の死と神を語るということ

私は自分の個人史が、どこか聖杯伝説などの、
叙事詩的神話的な世界に似ていると感じていた。
それは私が無意識に、自分の体験を物語的に編集したということもあるだろうけど、
(個人史とは編集作業にほかならない)
それよりも、
生の本質的体験は結局は神話や叙事詩という地点に至るものだ、
というのが正確なところだろう。
元型が立ち現われてくるのだと思う。

また私が自分の個人史をふつうに「人生」「メンタル」として捉えず、
なぜか「身体」としてとらえざるをえなかった事情についても、
このレビューを読んで、あらためて再認識できた。
個人史を身体史として語る、という今日的な意味合いを、
多くの人に受け止めてもらえたと実感できた。
この出版が私に与えてくれた手応えはとても大きかった。
もっと売れて欲しいものだ(*´σー`)エヘヘ
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アルトーについて面白く語りました。

わたしの師匠といってよいほど大きな影響を受けたアントナン・アルトーについて、
お茶をすすりながら、冗談まじえて語りました。
知人の音楽製作者で文学好きの小野修さんから企画を持ちこまれ。
まさかこんな形でアルトーについて話す機会があろうとは。

  → 文学を解体する読書会という名の茶会
   三煎目 アントナン・アルトー
       「演劇とその分身」
       「ヴァン・ゴッホ 社会が自殺させた者」
   茶人 小野修 最上和子 スギウラジオ

      

東京の中の他界




写真は上野公園裏手の車道に面した階段。
何年か前、東京巡礼のフィナーレはここで踊った。
ここで以前はよく稽古もした。
上野のオモテ通りとは違って、車が通っているくせに妙に静かなんだ。
カラスがよく鳴いているし、野良猫が多い。
通りをはさんで向かい側は、上野動物園の裏手になる。
上野のオモテ通りから歩いて、この通りにさしかかると、突然空気が変わるんだ。
急にしんとして、空気が重く沈んでいる。
かすかにケモノ臭い。

ここは上野動物園の裏手でもあり、きいたところによると、
ここらへんのどこかで動物園の動物達が死んでいくらしい。
実際はどうなのか知らない。
動物園の動物は、どのにようにどんな場所で死ぬのか私は知らない。

ただこの通りには異界の空気があるんだ。
オモテにはかならずウラがあるんだよね。
世界各地から連れて来られた動物達の魂はどこに行くんだろうね。
どんな思いで死んでいくのだろうね。
遠いアフリカの風景を瞼に焼き付けているのだろうか。

この通りには時折、夜などに、
死んでいく動物達の声が聴こえるそうだ。
ほんとかどうかは知らない。
ウソでもホントでも、ここは東京のなかの他界だ。

ただこの場所が私は好きなので、よく稽古した。
いつも鳥の声がするし、あまり人が来ないし、
街なかなのに気兼ねなく踊れるんだよ。

私はこの写真を見るたびに何かを感じる。

舞踏家って、どんなに幸せな安らぎのなかにある時にも、
つねに極限状況を体の中に宿しているものだ。
地獄を忘れることはないんだ。
自分が今いくら幸せでも。

それは呪いのような生だけど、
とてつもない至福でもあるんだ。
お金にもならない、人から評価されることもない、
平和な日本にあって、何十年も孤独を背負って生きていく、
そんな人間が、
死者たちを体に宿している。

舞踏ってそういうものなんだよ。

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Author: 最上 和子
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