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落葉(らくよう)

いつも稽古している神社で落葉の音をきいていた。
はらはらと落ちる木の葉は、はかない、と感じる。
ところが、踊っている時のように軽い変性意識にはいってみると、
まるで印象が違う。
力強く、怖いほどだ。
海鳴りのような、ごうぅぅぅ という音に聞こえる。
現象としての落葉ではなく、背後の大きな力の働きを感じてぞっとする。
ぞっとするけど満ち足りている。

寄せては返す海の波の動きを見ていて、
それがたまたまの動きであるとか、たいしたもんじゃないとか、思う人はいない。
波の動きは見ればみるほど怖い、圧倒的なものだ。
偶然の動きではなく「必然」が支配していると感じる。
そこにあるのは宇宙原理のような地球の呼吸のような、
美しくも恐ろしい韻律だ。

それと同じように落葉にも必然という支配を感じる。
「空の鳥1羽、地に落ちるのにも神の摂理がある」というシェイクスピアの言葉を思い出す。
(正確な文言は忘れたが)
落葉は正確に寸分の狂いもなく、ある原理に従って、唸りをあげて一斉に落ちていった。
ざあああああ ごおおおお という海鳴りのように。

その必然の網の目に自分がいると思った。
そのように踊りたいと思った。

源氏物語で、風の中の葉擦れの音をきいては涙するような貴族が出て来るけど、
違和感あるなぁ
なんか弱々しい。涙するとかそういう問題かと思う。
先のシェイクスピアの言葉に較べると深みがないと感じてしまう。
「リア王」がきいた嵐の音はどんなだったのかと思う。
彼は宇宙の生成の恐怖に踊らされたのではないかと。




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呪われたもの

舞踏の公演には演出家がいないのがふつうだ。
踊り手である舞踏家がそのまま演出を兼ねる。
これは舞踏の世界では当たり前になっているけど、
作品をつくるという行為においては例外的で、不可能に近いことをしている。
だから相当の名のある舞踏家の公演でも、演出じたいは拙い。
ふつうの舞台表現の演出と同等に並べて見られるのは、正直ツライ。
舞踏は特殊な成り立ちをしている表現ジャンルだ。

このことが、いざ公演をするとなると大変な障壁になる。
この苦しさは言葉に出来ない。観客は、
ただふつうにダンスの舞台を見るつもりで観ると、なにがなんだかわからない。
だから舞踏の公演というのは身内でしか成り立たない。
うんと有名になってブランド化しないと、お客さんが来ないのは当たり前。
山海塾は演出がすぐれているけど、そのかわり身体性はほとんどない。

どう考えても舞踏は特殊すぎるし、表現ジャンルには成り得ないと思える。
踊り手が同時に演出家であることは不可能だ。
そのことに無自覚な人もいるけど。

作品ということでなく「身体にはこういう面もありますよ」という見せ方なら成り立つ。
実際にそういうものも多い。
床にころがってみたり、体をねじれて見せたり。
その場合、舞踏に対する最低限の前提を観客が知っている必要がある。
それはそれでひとつのあり方だとは思うけど、私は作品が見たいと思ってしまう。
作品というものが持つ、宇宙的な蕩尽の性格、色彩、色香、世界観的強度、
そういう曰く言いがたいひとつの存在様態がほしいと思う。

私はやはり不可能を夢見ているのだろう。
踊り手が演出家であることの困難は、やってみなければわからない。
ただ踊っているだけでは見えてこない、本質的な問題がある。
ここに身体の本質がある。
身体は自分自身であるというのは、本質的すぎてなんの意味もなくなってしまう。
そのようなものだ。
なんとなれば、世界の本質は語りえぬものであり、
解決のできない、答えのないものだからだ。
まともにやったら気がへんになる。自分が壊れる。
本番当日まで演出に精を出したら、もうその人は踊り手として成立しない。
自分自身に集中できなくなるからだ。

だから私は舞踏にとって作品とは、いくつも出来ないと思っている。
一生にひとつかもしれない。
それは私の生の中で繰り返し吟味され、丹念にすり潰され、
もはやこれ以上は省略も付け足しも出来ないギリギリの形に、
到達したものであって、
だから演出そのものは後方に退いてしまっているような、なにものかだ。
その形が、その踊り手にとって、永遠に生成し続けるような、
そういう容れ物になっていなければ。

純粋に舞そのものとしての成立の仕方もある。
わかりやすく言えば、
バレエにおける「瀕死の白鳥」とか、
日舞における「雪」だったか、タイトルは忘れたが、
韓国舞踊におけるサルプリのようなもの。
純粋な舞それ自体は短い時間で、5分とか、せいぜい15分程度の、
ソロ舞踊の精髄のようなもの。
たとえ5分でも、その踊りに神が宿っていれば、
何万もするチケット代も、ほんとは高くないのだ。
絵画一枚に億もの値段がつくことを思えば。

私は世界観のある作品世界と、純粋な舞とをわけて考えている。
作品となれば、演劇的要素が必要と思ってる。
その場合の演劇とは原=演劇であり、ストーリーのことではない。
それは人間のドラマと神的なものとの融合のような意味合いのことである。
ある決定的なシチュエーションのようなもの。

私は世界観のある作品をひとつ作り、
あとは純粋な舞をつくりたいと思っている。
純粋な舞とは、例えば「剣の舞」とか「死者を悼む舞」のようなものだ。

とにかくとんでもない困難に取り組もうとしている。
それがいかに困難かは、ごく一部の人にしかわからないだろう。
内的で霊的な創作舞踊を創出することがいかに困難か。
しかも、どう頑張っても小さな世界でしかなく、観客は永遠に極少だ。
絶望的に孤独だ。
もしかしたら私はハゲてしまうかも(笑)

小さな世界であるというのは実は大切なことだ。
それは精密で限りなく小さなレンズのようなものであり、
小さければ小さいほど、そこに映る世界は大きく無限大にちかづく。
これはマテリアルの精髄だ。
だがそれがわかる人は少ない。
報われなくても情熱を燃やし続けるほど、私は聖人かい。
と言いたくなる。
人は絶対に報われたいものだ。

・・・ とここまで書いてヘトヘトになったので止める。

公演したい

最近、あれほど興味のなかった公演活動を、又したくなって来ている。
どうしてなのかよくわからない。

社会性への未練が断ち切れない、というのもあるだろう。
思う存分踊っていないということへの不満もあるだろう。
公演するという行為に対する評価が、自分の中でそれほど上がったわけではない。
集客も出来なくて結局は自己満足に終わるんだろうな、という気持は相変わらずある。
それでもやりたいと思うのは表現者の単純な欲望なのか。

足の下に地面がないという虚しさから、公演に興味をなくし、
巡礼活動したり、稽古の方法を試行錯誤したりして、
それほど成果が出たわけでもないけど、
それなりに自分の中で、何かが納得できたのかも知れない。
自分のなかに力強いものを、最近感じる。
きっと何かを掴んだんだろうな。
頭ではよくわかっていないけど、身体はきっとわかっている。
だから身体が動きだしたんだ。

前からやりたいと思っていた、ギリシャ悲劇のコロス的なものをやりたいとか、
(誤解されやすい言葉だが) ある種の神聖舞踏、をどうしてもやりたいとか、
いろんなことを思う。
まあ単なるうぬぼれと思ってもらって構わないのだけど、
現在舞台などで行われている舞踊表現とか、伝統芸能とか、私には面白くないので、
あの程度のものがいいとされていることが歯がゆい。
私のほうがいいよ、と思っている。
口惜しいのだ。
この私が社会から埋もれていることが。
もしかすると私は、完全に社会性を失った、ひきこもりの人間が、ほんとは何もできないのに、自分を一角の人物であると錯覚するように、
自惚れを養っているに過ぎないのかもしれない。
だとしたら、それを思い知った方がいい。

要するに、長いあいだのひきこもり状態に嫌気がさしたのだろう。
オモテに出たくなったのだろう。外気を吸いたいのだ。

でも引きこもっていた事自体は後悔していない。
私にはただの舞踊ではない「身体」がどうしても必要だった。
舞台人になっていたら身体を探求することは出来なかったろう。
とうてい両立なんて出来るものではない。

表現以前の「身体」をちゃんと押さえた舞踊を全面展開してみたい。
いざするとなると問題は山積だ。
お金の問題。集客の問題。
またしても雑用で消耗して、踊りに集中できないとか。
同じ失敗を繰り返してしまうかもしれない。
だって具体的問題は何一つとして解決していないのだから。

ただ、以前公演活動していた時とはあきらかに何かが違う。
自分の中で何かが変化している。
だからやってみようと思っている。
失敗したらその時にまた考えよう。

具体的には公演(というより試演会)を来年にやることにした。
来年の夏にアイスランドで公演をすることになっているので、その前哨戦だ。
国内で本格的公演する力が私にはないので、前哨戦として。
アイスランド公演の声掛けをしてもらったことが、具体的なきっかけになった。
私はほんとは作品を作りたかったのだと、気がついた。
それ以来、身体のなかで燃えるものがある。
やりたい、踊りたい、作品をつくりたい、という声がある。
私はやりたいのだ。力のある身体表現を。

社会の壁にぶつかってだからよく落ち込む。
私はもう老人なのにゼロから再出発しなくてはならないと落ち込む。
それでもやりたいし、私はやるのだろう。
何か・・すごく気分がいいのだ。
個人的な欲というより、やるべくしてやるという感じがしているのだ。
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Author: 最上 和子
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